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裏庭のバジル 7 



 二人のセガワが今どこで何をして暮らしているのか私には知る術もないが、彼らの建てた家にようやく新しい家主が付いたのを機にあらためて当時のことを振り返ってみると、セガワ夫妻それぞれの私生活の底部には、純然とした――というより、“自覚に乏しい” その空虚の垢とでもいうものが隙間なく敷き詰めてあったように思い出される。 そして、その自覚の乏しさゆえに彼らは日常生活における微妙な戸惑いを少なからず何かの折々に感じていたことだろうと、わたしは今でもそう考える。


 ある日の朝、玄関を出て屋外の郵便ポストから新聞を引き抜いたあと、ちょうど隣家の玄関戸の閉まる音を聞いた。 わたしは、抜けきらない眠気を朝の冷気にさらしておくついでにと思って、隣家の住人に挨拶をするため町道に足を踏み出した。 すると間もなく、夫のほうのセガワが門柱を通り抜けて出てきた。 わたしが 「おはよう」 と呼び掛けると、セガワは立ち止まってこちらを振り向いて 「おはようございます」 と言った。 そして彼は自分の挨拶の語尾におよそ一呼吸ぶんの間を付け加えて 「行ってきます」 を言い添えると、それからまたおよそ一呼吸の間を空けてから身をひるがえした。 セガワはいつもそのようにしてわたしを視界に入れ、ただ私に挨拶を返すためだけに口を開き、そして自宅前の町道を静かな足取りで遠ざかっていった。 いつものようにワインレッドのブレザーを着込み、肩にはビジネスバッグのストラップを斜めに掛けてあり、またいつもと同じように彼の履いているスラックスの裾は短かった。
 わたしはこれまでに何度となく、その日の朝の光景を思い出そうとしたものだった。 セガワはたしかに片方の肘を曲げて鞄のストラップを手で掴んでいたのかもしれなかったが、 しかし本人にとってみれば、いつもそうして何気なくストラップに手を掛ける習慣があるというだけのことだったかもしれない。 その鞄に入れてある特別な物の存在に思いを寄せようとする彼の意識が働いていたからではなく、歩行中にバッグの本体が腰の側面を前後するのを防ぐためだったかもしれないのだ。
 セガワは彼の家庭に保管してある現金や預金通帳を持って家を出たまま、それ以来、自宅には戻らなかった。 妻のほうのセガワや、職場の同僚などからの電話連絡には応じることなく、私の知るかぎりでは、それから数か月後に妻のほうのセガワが引っ越しをするまでのあいだ、どこかの場所に死体となって発見されるでも、また彼の名が警察の被疑者名簿に挙げられるでもなかった。 その、警察といえば――セガワの捜索の一助になりうる人物のひとりとして、わたしは地元の警察署の一室で職務質問を受けた。 しかしどうやら、その際のわたしの回答は役に立たなかったらしい。 もしどこかにセガワの姿が発見されたときには、警察署からの連絡がわたしの携帯電話に入ることになっていたが、その職務質問を受けてから今日に至るまでのあいだに一度も連絡は来なかった。 ちなみにわたしがその職務質問のときに話した内容というのは、ひとつはセガワ夫妻の静穏とした家庭生活について、またひとつはセガワの物静かな人柄について、そしてもうひとつ、セガワがいつものように仕事用のバッグを肩に提げて出勤したふうに見えたということだ。 もちろん彼の着用するスラックスの裾の短さもまた普段と同じだったには違いないが、そのことは警察の職員には言わずにおいた。 わたしの見知ったところ、またそれに関連する内容において重要と判断されるだろうことといえば、その中身が何であったかの仮定をうながすバッグ自体の存在や、セガワの髪型と顔色と口調が普段どおりだったように感じられたという、そのわたしの頼りない主観なのであって、ことスラックスの裾の短さについては、おそらくセガワ個人の服装の趣味であること以上の意味を為さないだろう。

 そうして夫のほうのセガワが行方をくらましたにも関わらず、妻のほうのセガワの生活態度にさしたる変化は見られなかった。 もっとも、それもまた私の主観の域を超えてはいないのだが、しかし彼女によく面倒を見てもらっていたわたしの息子の言うところでも、やはりセガワの暮らしぶりや当人の外見的な印象からは配偶者の行方を案じるような心境を見受けられないとのことだった。 だからといって、セガワが無神経な女だったというわけではない。 わたしには、その隣人という立場上、何度となく彼女と会話をする機会があったが、彼女の物言いや所作には本人の年齢に見合わないだけの落ち着きや、豊かな知性とでもいったようなものをいつも見て取ることができた。 またそのことに加え、おそらく彼女の身長が百七十台の中程はあり、そればかりか彼女の体格が水泳あるいはバレーボールの選手並みに良いこともあって、もし仮に、わたしの息子がただ単に女の母性をだけ欲していたわけではないのだとすれば、つまり、息子はそのセガワの人柄や体格に対して彼の子供心が満たされる程度にまで親しみを感じていた、ということだろう。 またそのようにして実子の無いセガワ家にいながらも息子が少なからず居心地の良さを感じることが出来ていたのだとすれば、それはやはり妻のほうのセガワがわたしの息子を良心的に扱う術を知っていたからであったはずだ。 たしかその当時、わたしの息子は十歳かそのあたりで、セガワは三十代の半ばを過ぎたあたりの年齢にあった。 彼女の実子といっていいぐらいの歳にあった私の息子の存在がセガワの精神を安定させる一因になっていたと、そう考えるのが自然なところだろう。

 夫のほうのセガワに初めて会ったのは、我が家の棟上げ式の日だった。 見慣れた近隣住民らの顔ぶれに交じって、ひとりの若い男の姿が自宅の庭内にあった。 彼は、まっすぐ私の元に歩み寄ってきて自分の姓名を伝えたあと、まだ木枠の組み上がっていない隣りの敷地のほうを指して、その場所に彼自身の家が建築中であることを言い添えた。 そしてそのあと彼はまたわたしの顔を見て、両家の外観が同一である可能性を、まぶたひとつ動かさずに言った。 わたしは、土地区画整理組合の職員から住宅メーカーのパンフレットを受け取ってそこから商品を選んだことを彼・セガワに話した。 するとセガワもまたそれと同じふうなことを言った。 聞けば、彼にはすでに数年間を共に過ごした妻がいて、その上、夫婦そろって和風住宅に暮らすことを念願していたらしかった。 その話を聞いてわたしは、まだ二十代の半ばにあるかにも見えるセガワがその種の住宅を選んだことをただ素直に驚いて見せたものだが、そのことに関しては、のちに彼ら夫婦それぞれの職業を聞き知ったときに、ようやく合点のいく思いがした。 夫のセガワは自然塗料の開発に携わる仕事をしていて、妻のセガワはその将来を有望視されている若手の女性陶芸家だった。 また夫のほうのセガワは、和風の家に住むことがこの国に住むことの確固たる意味である――というふうな中々にして小粋な自説を持っており、その一方、自作の陶芸品の置き場として好ましいというのが妻のほうのセガワの考えだった。
 それから数か月を経て、わたしが入居の準備を始めようとする頃にもなると、その自宅の完成に追いつこうとでもせんばかりに、一方のセガワ家が建築過程の終わりのほうに差し掛かろうとしていた。 そんなときにわたしの息子は両家を見比べながら、大工工事業者や左官工事業者の為した仕事に対する賛辞ばかりを口に出して言ったものだが (つまり彼は、二戸の家屋の外観に目立ったズレが生じていないことに感心したのだ)、わたしのほうと言えば、どうにもまだ心の中のわだかまりを捨て去ることが出来ずにいた。
――それがたとえ住宅形式の同一を意味するに過ぎないのであったにせよ、また、わたしの帰宅すべき家の門柱の表面に見慣れた苗字の刻まれた表札が掲げてあったにしろ、やはりわたしは毎日のように両家を見比べて、どちらもがおなじ造りであることをまず先に意識するだろうと、わたしは当時、そう考えていた――わたしがあと三十年を自宅で過ごすなら、その間じゅう毎日毎日それらの家々の外観を見続けることにもなるはずだ。 もしそうであるとすれば、その場所に長らく生き続けていく中で、わたしは自分の帰るべき家をいつか不意に見失うのではないか、と。 それよりもっと厄介なのは、隣家の外観を見ることに気おくれを感じるに留まらず、いつかその外観をなるべく見まいとする心境にまで陥ってしまうことだ。 そしてもしそれが一種の拒絶反応であるとすれば、燐家を見ることの拒絶であって、隣人を見ることの拒絶でないとは言い切れない、わたしは当時そう考えていた。 だから、まず少なくともわたしにとって重要だったのは、自宅と隣家の外観に違いを付けて、いつも隣人とわたしの違いを明確に示し続けておくことだった。
 といって結局のところ、ひとえに資金的な理由があって自宅の増築に踏み切ることは出来なかったが、しかしその後日、セガワに招かれて完成した隣家を訪れてみて、わたしの抱いていた こだわり など、まるで取るに足らないものであったと思い知らされることになるのだった。




『セガワ夫妻』