untitle db log

裏庭のバジル 8 



 玄関に我々を招き入れてくれたのは、夫のほうのセガワだった。 日曜の午前十時を過ぎたばかりの頃であったように私は記憶しているが、その休日の午前中にも関わらず、彼の身なりは嫌味のない程度に整っていて、洋服店の広告チラシに掲載されている男性モデルの装いを想わせるほどだった。 玄関の下足場には二組のサンダルが置いてあり、どちらもが男性用のサイズのものであるかに一度は思えたが、その推測が見当違いではないことをわたしは間もなく知ることになった――妻のほうのセガワが玄関に出てきたのだ。 一見して、彼女の身長が夫のセガワをいくらか上回っていることは明らかであり (その日以降もまたおなじく、彼女がわたしの目先にいて夫の真横に立ったことは一度も無かった)、二人のセガワの間柄が夫妻にはなく姉弟にでもあるように見受けられた。 あか抜けた着こなしをしている夫と比べてみれば、妻のほうのセガワは自身の服装にあまり関心が無いようで、しかしそれにもかかわらず、襟のよれた白のシャツを上体にすっぽりと被せるように着ているためか、太極拳の使い手の外見さながら、かえって彼女の粛然とそびえる長身が際立っているようでもあった。
 それから私と息子は、あらかじめ用意されていた部屋用のスリッパに足を通して、夫のセガワに導かれるまま屋内の至るところを歩き回った。 我々のかたわらには妻のほうのセガワも付き添っていて、たとえ夫のセガワが彼女の了承を得てあったにしろ、彼ら夫婦の寝室や、若い婦女の私室や、洗髪料の残り香がする風呂場にまで、それら一室ずつを含むすべての部屋を順々に見て回るのだから、いち隣人に過ぎない私としては、ただもう居心地の悪さだけが募りに募っていく思いがした (もちろん夫のほうのセガワは屋内にある便所の扉をまで開けて、そこがトイレと呼ばれる一室であることを事務的な調子で説明した)。 わたしはその表情をこそ確かめようとはしなかったが、妻のほうのセガワが何を思いながら夫の行動に視線を当てているのかと考えると気が気ではなかった。
 しばらく屋内の移動をつづけて全室の内部をひととおり見終わると、今度は妻のほうのセガワを先頭にして台所へ向かうことになった。 たしか夫のほうのセガワが、コーヒーもしくは紅茶か何かを飲んで一息を入れてはどうかといったような提案を出したのだ。
 
「お気づきになりませんでしたか?」
 その日、ようやく妻のほうのセガワがわたしに声を掛けた。
「この家のことです」 と彼女は言った。

 台所のテーブルには外国で買い付けたというクッキーの缶やら何やらが置いてあった。妻のほうのセガワは調理場に立って軽食の支度をしているようだった。 一方の夫は私と息子に着席をうながしてから、菓子類の封を自由に開けるよう息子に穏やかな声を掛けた。 わたしの息子は好奇の声を漏らしながらクッキーの缶を両手で持ち上げると、缶の底に張りつけてあるラベル・シールを間近に見て、そこに表記されてある何処の国のものともしれない言葉をなんとも妙な発音を付けて口に出して言った。 すると、そんな息子の様子を眺めていた夫のセガワが目尻に微笑を寄せた。 妻のほうのセガワは、それらの菓子がベルギー産のものであることを言葉みじかに言った。 わたしはそういったセガワ夫妻の反応を見て、ようやくなんとか彼らと上手くやっていけそうな気がした。 といって別に、かねてより彼らの人柄に対して何かを懸念していたというわけではないのだが、そのようにセガワ夫妻がわたしの息子の言動を見てそこに家庭的な可笑しさを感じられる大人であるということは、言い換えれば、わたしが何かの折に息子の言動を注意したとき、それをいわゆる親の愛情の表われであるものとして夫妻ともに理解し得るということだ。 もちろん私はそれでもなお、二人のあいだに交わされる心情が細い針孔を通るようにして互いの元に伝わっていく様子をつよく想ってはいたが、しかし、そのように緊密な関係性を夫婦間のどこかに保ちながらも、そんな彼らが他家の家族関係において生じる他愛もないやり取りを笑って済ますことが出来るのだと思うと、隣人の関係を取り結んだ立場にある私としては、それがなんとも心安らぐ一件であるように思えたのだった。

 のちに私は彼らの職業を知ることになるが、他人夫婦の職業について、またその職業に就いた彼らの人間性について、あれほど真剣に考えたことは後にも先にも無い。 わたしは今でもこう思うのだが、あのセガワ夫妻それぞれにおいて、ひとつの家族関係を長く維持させるに必要となるはずの人心――いわばそれは普遍的な仁愛の心――人情に置換される心とでもいうものが端から欠け落ちていたのではないか。 なにも彼らの場合、感情を伏せておこうとする互いの心理作用によって二人のあいだに交わされるべき親しげな発言が抑制されていたのではない。 おそらくは心の触れ合いに伴う感情変化の自覚を互いに多少なり持ち合わなかったがために、彼らの家族関係に必要となるその心の欠落に対しても相変わらず “明らかな自覚” を持つには至らず、そしてその結果として、あのように彼ら自身の家庭生活において、異様なまでの静けさが維持し続けられることになったのではないか。 もちろんそれは元を辿って考えてみれば、その心の欠落こそが彼ら自身を当の職業に就かせた所以のひとつであったとも言えるだろうし、その欠落の類似をひとつの理由としてこそ二人が婚姻の関係を取り結ぶにまで至ったものと言えなくもない。 そしてその延長線上に潜んでいた家庭崩壊をもってして、それでも妻のほうのセガワの様相や生活態度に明らかな異変が見られなかったというのは、考えてみれば、やはりごく当然のことだったのかもしれない。 夫との同居生活を経てなお彼女が自身の心の欠落を自覚しなかったのであるとすれば、つまり彼女にとって夫の不在とは、いわば男性向けの靴の非在であっても然るべきだろうし、あるいは、いつかセガワ家の屋内に流れていたその風の非在ですらもありえたのだ。

妻 「お気づきになりませんでしたか?」

わたし 「“この家” ですか?」 息子 「(ばりばり、ぼりぼり)」

妻 「家の間取り図をすべて描き変えてもらったんです」
妻 「だいぶ余分にお金が掛かってしまいましたが」

夫 「あまりお隣さんを困らせるものじゃないよ」


 両家の敷地を囲っている生垣の植え替えを言い出したのは、妻のほうのセガワだった。 夫妻は前もって相談を済ませてあったようで、わたしと食卓を隔てて対座している妻のほうのセガワが、夫の顔には一視さえ向けず、ただひとしきり私の顔を、まばたきもせずにじっと眺めていた。 それから彼女は “イェフスの木” という、わたしにはまるで聞き覚えのない木の名称を口に出して言うと、それがどんな種類の木であるかは別にして――といったような前置きにつづいて、害虫に取りつかれた一本の樹に関する話をはじめた。 その話の概要といえば、 『樹は一匹の虫を確かな害とする』 とでもいったようなところだった。 まるで書き損じられた神話の一節でもあるような、どことなく具体性に欠く内容の話であるように私には感じられたが、つまり彼女は、我々の家のまわりにすでに植わっていた生垣のことを暗に言い示して、うちの一本が害虫によって枯らされることを自分は望んでいない、という旨をわたしに伝えようとしていたらしかった。 そしてそのあと彼女は “イェフスの木” をもういちど話題に挙げて、害虫の忌避効果の見込みを短く語っておいてから私に意見を求めた。 夫のほうのセガワが――生垣の植替えに掛かる費用をすべてセガワ家が負担するのだと言い添えると、妻のほうのセガワが 「ええ」 だか 「うん」 だか 「はい」 だか――とにかく何かしらの一言でもって相づちを打った。 わたしは、そんな特別な種類の木が実際に何処かに植わっているものだろうかと疑問に思い、あらかじめ幾つかの考えを頭に巡らせておいてから、その疑問を夫妻に投げ掛けようとしたわけだが、ほどなくして妻のほうのセガワが何とも妙に愛らしい緩慢とした調子で夫の顔を振り向いたところで、一方の夫が無言のまま席を立って部屋の出入り口に向かって歩き出したのだった。



『セガワ夫妻とイェフスの木』