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裏庭のバジル 10 



 数日にわたった陶芸体験のさなか、どうやら息子は自分の手で造形した湯呑や茶碗の完成に一カ月ちかくの期間を要することを妻のほうのセガワから聞き知っていたようで、あるとき私がその陶芸作品の出来を訊いてみたところ、彼は浮かない顔で言葉少なに話を切り上げようとした。 おそらく、そのときもうすでにセガワ家における宿泊のアイデアを頭の隅に置いてあったのだろう。 当時まだ十歳に満たない年齢にあった、それが彼の幼い情動に基づく自然なものの考え方であることを、わたしは彼の父親の立場にあって一応のところ理解しているつもりではいたのだが、しかしその後日になって実際に息子が外泊をするようになってからは、彼の無声の思いをなだめる根本的な手段をわたし自身が持っていないことをあらためて思い知らされるのだった。 息子は陶芸体験を終えて以降、宿題の手伝いについては以前の習慣どおり彼自身の学友やわたしを当てにするようになり、妻のほうのセガワに対しては、共通の趣味を見つけることで彼女との関わりを維持しようとしていた。 そういった息子の積極性には、私も思わず感心させられるほどだった。 妻のほうのセガワが無趣味であることを知って以来、彼は誰もが手軽に始められそうな趣味を探してそれらをすべてセガワに紹介し、わずかであれセガワが興味を示した場合には、その趣味を独自に深めていけるよう新たな着眼点をまで見出そうとした。 もちろん彼の年齢にあって、趣味には金を掛けられない。 市販品の使用にはなるべく頼らず、なおかつ、セガワの関心を引き付けておくことを重点において二人の共通の趣味になりそうなものを探さなくてはならなかった。
 ところが一方のセガワは、自身の趣味を探すことに強い関心を持たなかった。
 のちに彼女は、趣味探しは疲れるのだと、わたしに対してそんなふうに言った。

 セガワ家から戻ってくる最中にはもう息子の自制の緒が切れ掛けていたと見えて、そのあと彼の手によって自宅の玄関が開け放された直後には、本人のむせび泣く声が屋内の平静をものの見事に一変させた。 わたしはリビングを出て、廊下の中程で立ち止まった。 息子は対面者の存在に気付いていないようで、そのまま足早に廊下を進み出てきて、まもなく不意にわたしの姿を正面に認めると一息のうちに声を殺し、つんのめるようにして立ち止まった。 そして彼は茫然とした表情でわたしを見上げて、今度はしずしずと泣きながら外泊の許可を求めるのだった。
 わたしと息子はそのあとすぐに隣家を訪れ、妻のほうのセガワから宿泊の承諾を得た。 その際のセガワの対応があまりに早かったため、いったい何の言葉でもって彼女に返事を返せば良いのか思い迷いもしたのだが、ちょうどそのとき息子がわたしの片足に両腕をまわして泣きっ面を長ズボンの表面に擦り当てていたのが幸いだった。 その彼の様子を見てセガワは無言のまま屋内に引き返し、しばらくしてハンドタオルを持って玄関に戻ってきた。 わたしはそのタオルを自分で受け取るよう息子にうながしながら、彼の宿泊において必要となりうる数種の寝具の持参についてセガワに話した。 息子の過去の外泊経験が数えるほども無かったのだ。 なかば相談をする心づもりで、わたしは彼女の返事を待った。 しかしセガワは、その必要は無いのだと言った。 それから彼女は寝具について他に何を言い加えることなく、ただ言葉みじかに同夜の宿泊をわたしの息子に勧めたあと、おもむろに膝を折って腰を落とし、さらには夕食への同席を彼に提案するのだった。 息子は気まずそうに押し黙ってセガワの顔をしばらく観察し続けていたが、そうしてセガワと顔を突き合わせているうちに何かしら心境の変化があったのだろう、彼は夕食の献立がクリームシチューである可能性を力無い声で訊いた。 セガワが一度だけ頷くと、たちまち息子の口元がほころんだ。
 その翌日の朝、妻のほうのセガワに手を引かれて息子は自宅に戻ってきた。 彼の顔には物憂げな表情が張り付いていて、セガワの代言を聞くまでもなく息子が寝不足にあることは明らかだった。 そんな状態にある彼が同日の登校を渋らずにいたことが私には意外に思えてならなかったのだが、つまり早い話、それは妻のほうのセガワが息子に前もって口添えをしていたからだった。 同日の夕暮れ時になって息子はまた隣家への外泊希望をほのめかすのだが、さすがに二日目の外泊の許可をわたしから容易く得られるとは彼本人も考えていなかったようで、妻のほうのセガワからすでに承諾を得てあるのだと、性急な口調で彼は言った。 わたしは妻のほうのセガワが息子を招き入れる姿勢を取ってくれることを有難く思うと同時に、息子の意中を察してなんともいえない心苦しさを覚えた。 そして欲求に近しいまでの思いに駆られて、息子の小さな肩を引き寄せようと斜めに手を伸ばした。 すると直後、息子は一瞬のうちに表情を硬くして、すばやく両手を引き上げるような所作をとって私からわずかに距離を取った。
 お前の学業に差し支えが出ては困るのだと、わたしは言った。
 それから我々は無言のまま朝の支度に取り掛かり、それぞれが玄関の鍵を持って家を出た。




『妻のセガワとわたしの息子』