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裏庭のバジル 31 


 カゴの運転する軽トラックにつづいて、撮影者らを載せたワゴン車が杉林を通り抜ける。車速をゆるめて山沿いの道を下っていくと、やがて遠目には平野が広がり、指折りに数えられるほどの民家はどれも広い敷地に大きく建っている。農家らの所有する倉庫にはそれぞれ種類があり、一戸の民家と見間違える木造があれば、トタン板を張り付けた簡素なものもある。空は薄青く、そこに小さな薄雲が漂う。犬を連れた地元民の男性がスポーティな冬服に身を包んで小走りに遠ざかる。一台の対向車が通り過ぎた直後には、フロントガラス越しの田舎町の景色がどことなく静止しているように見える。
 運転手がバックミラーを斜めに見上げると、遠ざかった車両の背部が小さく町の風景に張り付いていた。後部座席にいる通訳者の視線に気づいて前方に視線を戻し――うしろ、暖房効きすぎてないかな――と訊いた。
 瓦屋根の駅がある。駅舎は木造でこじんまりとしていて、黒茶の柱と漆喰の壁が古めかしい雰囲気を醸し出す。舎内のベンチに杖突の老婆が座っているが、駅員の姿はどこにも無い。二か所の改札口の上に一個の丸い壁時計が掛けてあり、その上の壁面には白地の時刻表が掲げてある。天井ぎわの掲示スペースには例年行事の告知ポスターなど数枚が横並びに貼り付けられ、木製の窓枠に囲われたガラスの向こうにはプラットホーム、そして線路上には一台の赤い車両が停まっている。
 駅の前を通り過ぎたあと、二台の車はシャッターを閉じた消防屯所の前をまっすぐに走り抜けた。駅舎の火災事故に備えた屯所として建てられたことを運転手が説明すると、後部座席の片側に座る日本人がそれを英訳して車内にいる二人の外国人に伝える。撮影者の男は感心の声を漏らし、もうひとりはその話の内容をクールだと評価する。駅が開業して以来、何度か繰り返された改修工事によって駅舎はほぼ大体その原形を百年以上も留めており、おまけにそれは国の文化財に登録されてもいる。運転手は話し終えると、何事もない口ぶりで電車の利用者数に触れた。
 駅の周辺から遠ざかるにつれて民家の数は減り、町の景観が稲刈りの済んだ広大な土地の風景へと移り変わる。薄青色の空の下、乾いた土の上には稲株が整然と無数に並び広がり、その100枚ぶんを超えるだだっ広い田んぼの一辺に沿って車道を十五分ばかり辿れば、前方の左手に雑木林の一角が見えてくる。林は山麓の小川に沿って広がっている。その川の向こうには山々がひたすら連なる。
『このあと我々はまた山の中を三十分ちかく走り、目的の水源林へ向かう』
 紅葉の終わりを見る。色褪せた雑木林から青々とした竹林へと様相が変わる。運転手はそのどちらの林にも人の管理が行き届いていることを同乗者らに話す。もうすぐ山が冬を迎えれば、竹の緑が雪の白によく映える。かねてよりその冬景色が町の風物詩として住人らに親しまれているが、それは町の有志らが林の間伐や下草の除去作業に関わっているからだ。すでに一本一本の竹が人の両手では囲いきれない程にまで太く成長しており、長さにすれば二十メートルにまで達するものが数多くある。また、林の中に敷かれた一本の細い遊歩道は五十メートルを超えていて、地元民の多くは、その道を一方通行に歩く。前方から来た歩行者と接触するのを避けるため、そうしていつからか道の入口と出口を分けるようになった。彼らはよく顔を上げて竹林を歩く。風に吹かれて竹がカラカラ鳴るのを聞きながら歩く。
『陶器が水を湛えるとき、その器に付いた風景に土と火の彩色が施される』
 山々を連なる長い尾根からその中腹のあたりにまでかけて水源林が広がっている。市の水道局が管理しており、水源の保全を目的として百年以上も前にその取組が始まった。山の生体系を長期にわたって維持し、沢や下流の川に水を安定的に供給する役割を果たしている。カゴは車を停めて外に出ると、およそ二メートル四方の木製の看板を見やる。ほどなく後続のワゴン車もまた速度をゆるめてカゴの貨物車の横に停まる。――【水源かん養林/安全でおいしい水道水をつくるため、この森林をきれいにしています】――看板に太く書かれたその文言の下には、辺り一帯を示す簡易地図が描いてある。林道、山道、尾根道、あずま家、地蔵数体、進入禁止。巡視道と散策道を示す色別の線が長々と歪んだ二本の輪を描いているが、『およそ六時間』と書かれた所要時間はあくまで参考時間であり、場所によって木の枝にくくりつけられているその赤いテープに気付かず順路から大きく逸れてしまえば、その日の夜を避難小屋で明かさなければいけなくもなる。携帯電話の電波が森の全域に行き届いているおかげで119番に救助を要請することもできるし、それにもしアウトドアに興じて小屋に寝泊まりする者が誰かいれば少なくとも心細い思いをせずには済む。「いびきのデカい外国人には参ったけどな」と、カゴは言い加えて笑う。
 一方、撮影スタッフは林の奥に向かって延びている散策道に目を這わせて、遠目に見るその路面が黄や橙の葉に埋め尽くされていることに気付いた。まともに管理されているのか、と、彼はその散策道のあたりを指差して通訳の日本人の注意を引いた。
「どのみち歩いている途中で道は無くなるんだよ」とカゴが答える。「両手に竹ぼうきでも持って山に登るか?」
「それなら、火で落ち葉を燃やしてしまう方が早いですよ」と女が口をはさむ。
 それを聞いて撮影者は軽く笑いを漏らしながらカメラの視界を他に移した。遠くの山々が広く画角に収まり、ほどなく撮影者の笑いが失せた。

『日本の林業が衰退していく中、外国企業による森林買収が問題視されるようになった。林業従事者がターゲットとなる他、経営不振の酒造会社やボトラーが売り手となった。外国企業は地下水の取水口の場所を下調べしており、買収目的がそれであることを売り手はもちろん承知している。いちど失った土地を買い戻すには出費がかさむが、その費用を支払うのはこの国だ』
 ゆっくりと山景色が流れていく。貨物車の助手席に座る女が後部窓をふりかえり、後続のワゴン車に向けて手を振る。
『水源林をつくるために造林されたまま伐期を過ぎた林は陰鬱としている。下草が覆い茂り、伸び放題になった枝が日差しをさえぎって森を暗くする。そして、たとえばいつか豪雨が降ったときに、地崩れが起きて、三十メートル級の杉の木が山の斜面を滑ってくる。もちろんそれはひとつの可能性としてだが。しかしその点、我々の訪れた水源林には十分な明るさがあった。山肌のあちこちに陽光が射していて、空気が冷たく澄んでいた。自然公園みたいだった。ひとつの秩序がそこにあったように思う』

 カゴの工房へ向かう道中、脇道を逸れてしばらく行けば、そこにカゴの所有する広畑がある。もとの所有者が高齢のために手放した水田をカゴが買い取ったのだが、広さにして二千平方メートル近くはある。土地の三分の一の範囲には若い雑木と果樹を混植してあり、それ以外の土地は真っ新の状態で雑草すら疎らにしか生えていない。土がまだしっかりとは乾いておらず、水がほど良く抜けるまであと一年はかかる。
『日本国内の畑はブラジルやアフリカに比べて面積が小さく、アグロフォレストリーのような大規模農園を造るには無理がある。だが、日本の里山農業に近いかたちで樹木と家畜と作物を育てていくことは出来る。持続可能でリスクの少ない農法を取り、一年をとおして確実に作物を収穫することを目標とする。土地に備わっている高い生産力を継続させ、そしてその結果として個人が自身の森を持ち、森の中に多様な生物を定住させることの価値を実感するとき、そこに作り出されている自然と生物の原生的な共生の循環を深く体感してもいられるだろう』
 ここ数年で若者が田舎へ移住し、いちど休耕地となった土地で農業を行っている。中には画家や音楽家などもいて、民家を借りてそこに住む者もいれば、共同住居に他人同士で集まって生活をしている者たちもいる。たとえ将来の計画性に乏しくても、それは彼らにとってやはり身近な問題ではない。いま土に触ることの意味を彼らは多かれ少なかれ実感している――カゴは農道を敷設する予定の場所を歩きながら話す。その彼の背後から、撮影者が相槌の一声を放り投げる。
『生活の精神的側面の性質を見直しそれを豊かにする。土地の再利用は地方の農耕ムードを高めると共に人口増加をうながし、地元の活性化を引き起こす。もちろん人口が実際に増えるかどうかは二の次として、いちど放棄された耕作地に人の手が入ることの重要性をまず第一に見るべきではある。住人がその場所に長居するとは限らないが、土地が不法投棄に利用されずに済んだだけまだ幸いだったとでも考えておけば良い慰めになるだろう』

 カゴは主に陶芸用の原土や粘土を専門販売業者から買っている。畑から作陶用の原土を採取したことも過去にはあったが、その土をつかって形成した作品は、耐火性の低さが原因となって焚釜の中で割れた。陶器に独特の質感や風合いを付け加える一材としての使用に限るのが無難なようだった。
 カゴは話し終えると、手に握ってあった少量の土を足元に落として、左右の手のひらをぱんぱんと軽く払った。
 カゴの後ろ姿からその前方へカメラの視野を移し、撮影者は自分の祖父の畑で凧上げをした過去を思い起こしていた。カゴの広畑には及ばないが、それでも、子供が存分に走り回れるぐらいの広さはあった。彼の祖父が、風の吹き流れる状況を見ながら少年にアドバイスを送る。少年の手元から凧糸がどんどんと出ていき、凧は風に流されて畑の上空をとおく離れて飛んでいく。そして、凧糸が切れる。凧の重みが手元から一気に損なわれたとき、少年は子供ながらに絶望にも似た思いに駆られた。
『凧のデザインにはこだわりがあった。だけど、凧糸の強度については一度も考えたことがなかった。――あとになって僕は祖父を恨んだ。そんな、糸の状態なんてものを子供が気にするものか、それは大人があらかじめ事態を想定して注意しておくべきことだったんだ、というふうに』
 追憶が語られる中、映像内ではカゴの後ろ姿と遠景が対比的に重なったまま大した動きを見せない。遠くには木々の林立があり、撮影者らの周囲には整地のされていない土地が広がっている。土を踏み歩く音がまれに鳴る。それが誰の足音であるかは特定できない。そのまましばらく誰の一声も立たず、変わり映えのしない景色だけが続いた。そして唐突に場面が切り替わり、広畑の一角が間近に撮影された。成木と若木がほぼ一定の間隔をおいて数多く植えてある。見上げるほどの高さにまで成長した木は一本もなく、雑木林としてはまだほとんど形になっていない。木々の隙間の向こうを見やれば、畑の外縁の一辺を成している未整備の農道が長々と横に延びていて、その道のすぐ向こうには畑の域外の森がある。
 カゴは自分がつくった林の前に立って話を続けた。水はけの悪さが影響して立ち枯れた木もあったが、植樹した木のほとんどは特に問題なく成長を続けている。「今のところは」と言い足して彼は、熱帯国にあるアグロフォレストリーを例に挙げて、バナナやコーヒー豆など、園内に植えられる一般的な木の植栽例を説明し、ヤムイモやトウモロコシなどの作物で得られる年間の安定的な収穫性について話した。その話の合間にカゴが指差した方向へと撮影者がレンズを向けると、一本の木の枝の根本に、羽づくろいをする小型の冬鳥の姿があった。
 空には指でちぎったような細かい雲が流れる。畑の地面には落ち葉がうすく積もり、木々の影が辺りに乱雑に落ちている。
 女の姿は無い。脚が疲れるという理由で貨物車の助手席に座っていた。

 午後四時を過ぎ、一行はカゴの自宅で食事を取った。カゴが台所のガスコンロに置いた土鍋で飯を炊いた。手慣れたものだった。窯の利用客を相手に、七輪をつかって土鍋で飯を炊いたことが何度かあった。それを格別うまいとは思わなかったが、客受けは悪くなく、彼にしてみても満更ではなかった。
 木製テーブルの端に置いてあるビデオカメラが六人の首下から手元のあたりを映し出す。日本の簡素な家庭料理(卵焼き、里芋の煮物、豚汁、ほっけ、ほうれん草のひたし)がそれぞれ食器に盛ってあるが、撮影者ともう一人のスタッフの手元にはスプーンやフォークが置いてある。彼らはカゴにすすめられるままに食事を始めた。地元で作られた生卵と鰹節を飯にのせて、その上に醤油を垂らしたあとに二人そろって手を止めた。そしてそれから互いの茶碗に視線を落として、そこに得体の知れない有様を眺めた。「代わりに食べようか?」と、カゴが撮影者の手元にある茶碗を指して言う。「無理しないでくださいね」と、女もまた気を回す。
 通訳者がグラスに入った茶をひと口飲んで、飯を喉に流し込み、さっと気早にカゴと女の言葉を英語に訳す。カゴはすでに注意を他に移していて――「やっぱり、まだ味が染みてないな」――と、里芋の煮っ転がしを片頬の内側に寄せてから誰に言うともなく――「明日まで置いとくか」
 カゴの漏らしたその言葉を訳す必要があるのかどうか、通訳者が判断をわずかに遅らせたところ、一方の撮影スタッフが食卓に並んでいる器のいくつかを手で適当に指し示しながら片言の日本語で「カゴサン」と言った。そのあとスタッフの男はさらに日本語の単語をいくつか口に出して言葉を詰まらせるのだが、ふと彼は食卓の向かい側の椅子に座っている女の顔にうっすらと親しげな笑みが浮かんだことに気付いて咄嗟に心持をあらためると、女の顔から逸らした視線を横に滑らせて、「カゴサン」と、もういちど片言で言った。
「ここにあるのはカゴさんが作ったお皿ですか?」と、通訳者が日本語に訳してカゴに伝える。「ノー」とカゴが首を振る「違うよ、ノーだ」――自分の焼いた器では気楽に食事が出来ない。その彼の返事を聞いて、二人の外国人は口元をすこし緩めて口々にかるく相槌の声を垂らした。女が卓上のやかんの取っ手を掴み上げて言う、「私が自宅に持ち帰って使うことはよくありますよ。お母さんも喜んでます、食卓の印象が変わると食事をするのが楽しくなる、って」
『この冬、彼女は県外の美術大学の入試を受ける。高校が長期の休みに入れば、またカゴの仕事を手伝いに来るらしい』
 食卓の中央には、味海苔のプラスチックボトルが置いてある。撮影者は指でつまんだ一枚の海苔を品定めの目つきで眼前に眺めていたが、それをひとくち食べて感心の声を漏らし、国に持ち帰りたいと言った。

 その翌日の昼下がり、女の同乗したワゴン車が海岸沿いの道を走っていた。もとは撮影チームの二人が観光に割くはずだったその時間を利用して土産店をめぐり歩く予定だったのだが、日本人コーディネーターの二人と撮影者ら二人、それに自ら進んで観光案内の一役を担った女、その彼ら五人で商店通りを歩くため駅前のコインパーキングへ向かっている途中、海岸に人の寄り集まりを見かけて観光の予定を多少変更することになった。
 目先の路肩には十台あまりの車が停めてある。道路際から水平線まで薄いコバルト色が広がっていて、浅瀬の一か所に一頭の鯨の死骸がある。十メートル以上はあるな、と、運転手のどことなく浮き立ったような声が車窓に跳ねる。
 路肩に車が停まるやいなや助手席のドアが開き、ついで他のドアも不揃いに音を立てて開く。通訳の日本人が車内に吹き込んだ外気に身震いをし、うなるような声を短く上げる。その彼にならって、他の数人も各自の上着を手に取りそれを羽織る。撮影スタッフは小型の撮影用機材を入れた鞄を車外に持ち出し、女は杖を片手に車を降りる。彼らは防波堤の階段を下りて、乾いた暗色の砂利浜に足を踏み入れ、そのまま波打ち際へ向かって微妙に不安定な足取りで歩いていく。「たぶんマッコウクジラですよ」と、運転手が遠くを眺めながら好奇を押し殺した声で言う。
『角度によってそれは黒い砂山のようにも見えた』
 ビデオカメラには、一足先に現場へ向かう運転手の後ろ姿が小さく映っている。おなじく通訳者も自身の業務を顧みることなく、鯨に気を取られて一心に歩を進める。その一方、撮影スタッフは女の足取りに何度か気を配っていたが、すこし目を離しているあいだに、もう彼の斜めの位置に女が杖を突いて立っていた。撮影者は、女の背姿をレンズの画角に収めたまま歩調を弱めると、女の脇を通り抜けてうしろを振り向き、それから二本の指で自分の鼻を摘まんで見せた。
 その仕草を見て女は無言に目をしばたいた。長い横髪が風に流れて女の顔を覆った。
「ここで待ってます」と、それから女は弱々しい声で言った。横髪を手ですくい上げながら後ろをふり返り、上体をかがめて嗚咽を漏らした。撮影者がカメラの視野をとっさに眼前から逸らすと、まもなくレンズの画角の外で嘔吐の声がした。
 その一方、運転手の日本人は鯨の座礁した現場にたどり着くなり、地元の住民らと立ち話を始めた。また一方では撮影スタッフが女の容体を気にかけて引き返して来る。撮影者はうっかりビデオカメラの視野から意識を逸らして一瞬あらぬ方角にレンズを向けてしまうが、そのあと手元の撮影状況に気付いて、もういちど鯨の方角を映し出す。
 カメラの画角の外では女の力無い声がする。「ゴー アイムオーケー」
「youre not ok」と、撮影者は視線を斜めに下げて応える。女は、喉の奥に込み上げてくる吐き気に合わせて息を荒げたあと、子供をたしなめるような親しげな声で撮影者の名を呼んで今度は“アイムオウケイ”と言う。
 数羽の海鳥が上空を飛びまわる。白波の砕ける様子とは対比的に、クジラの死骸が細かい砂利の浜辺に静かに横たわっている。無数の白い傷跡が頭部の皮膚を広く巡り、体の中程と後部には胸びれと尾びれの片方ずつが斜めの向きに立っている。クジラの体表に大きな損傷は無いが、頭の先端部に付いた数本の亀裂からは血が流れ出し、周辺の砂利を色濃く湿らせている。大きく開いた細い下あごの内側に歯が数十本、そして、うすく開いた瞼の奥には何の変哲もない黒色の眼があった。撮影者はその様子を撮り終えると、コーディネータたちの会話の声につられてカメラの視野を移した。クジラの体表の一か所が黒い皮膚ごと四角に切り取られていて、奥行にすれば二十センチあまり。その四角の底辺には、ナイフで切られた赤身の断面がゆるく凸凹している。運転手は左手をひろげて親指と中指でサイズを示して見せたあと、現地住民から聞き知った話の内容を撮影者らに伝えた。しばらく前に現場を訪れた作業服姿の男性二名が、生態調査の一環として各種解析用の組織をクジラから採取したとのことだった。
 空一面が薄灰色をしていて、波は変わらず白い。ビデオカメラの視野の外では一人の男子の甲高い声がしており、「海よ、凪よ」と、彼は何度もそれを繰り返す。見物人らの多くは二人以上でクジラを眺めている。写真機を持った数人が思い思いの構図を狙って立ち位置を移していく中、他の見物人らの影がすべておなじ角度で暗色の砂利浜に薄っすらと張り付いている。
 撮影者はうしろを振り向くと、ズーム機能をつかって女の姿を大きく映し出した。女は上体をすこし屈めてペットボトルの水を足元の砂利に回し掛けていた。彼女の傍らには黒色の長いトレンチコートを着た初老の男が立っているが、撮影者はその顔にまったく見覚えが無い。初老の男は灰色のハンチング帽の下に温和な表情を浮かべながら、女の背中に手のひらを添えている。男の小奇麗な装いからして、女に危害が及ぶ恐れはないものと判断できたが、あとになって撮影者らが女の元に引き返そうとしたときにはもう初老の姿はなく、空のペットボトルと杖を両手に物憂げな表情で立っている女に訊いてみれば、「顔を見てない」と女は答える。
 彼女の話によれば、初老の男はミネラルウォーターの入ったペットボトルを未開封のまま女の足元に置いて、地面と“口の中”を洗うよう女に勧めたのだった。男はそれから自身が観光者であることを前置きにして町の景観の良さを静かな口調で称えると、浜辺に座礁した鯨にちなむマッコウクジラの睡眠について話をはじめた。水面下に浮かんで眠っているあいだマッコウクジラは片方の目だけを開けていることがよくあるが、それは睡眠中にも一方の脳が活動している証である。水の中で肺呼吸をつづけるために意識を絶やさないよう一方の脳を活動させたまま眠り、そうして睡眠中の身に及ぶ危険をすばやく察知することも可能としている。片方の目を開いて眠る。その後、他方の眼に開き変えて睡眠をつづける。個体によっては、目を開き変える合間の生理現象として、頭を海面に突き出し下あごを大きく開く場合があり、その仕草はちょうどクジラが欠伸をしているようにも見える。
「たしかそんな話でした」と女が言う。女の顔はいくらか色味がかっていて、記憶を辿って話しながら時折、目線の位置を変えて穏やかに微笑する。
 その話は本当ですか、と撮影者が訊く。
 あの人がそう言ったのは本当です。女は答えたあと、二本の指で鼻をつまみ、その仕草の意味を撮影者が理解したのを見取ってから指を離して、「お腹が空きました」と、自分の腹をさすった。

 彼らが道路わきに停めてあったワゴン車に戻ろうとする頃には、鯨のうわさを聞き付けた地元民や観光客が海岸に多く集まっていた。鯨の腹が海のほうを向いており、その体表に垂れていた黒い性器に気を紛らわされることなく、見物人らは鯨の死骸と曇天の海を眺めた。




『kago yukihisa 2』

 konoです。先日、音楽部屋の壁の尺を測るために3.5メートルの巻尺を買いました。do it yourselfに必要な巻尺自体の価格が200円ぐらいです。ギターの演奏に使うピックは一枚100円ぐらいですし、裁縫針も安くて一本30円か40円ぐらいです。
 数年前、画を描くために2000円あまりのシャープペンを買いました。ペンの本体が金属製でずっしりと重みがあって、その金属面には非・光沢の質感があります。それは本来であれば作図用に作られたペンだったのかもしれませんが、白い紙に下手な画を描くことを完璧にこなしている、という点を見てみれば、ペンの使用価値を僕自身の手でしっかり発揮させていると言っても過言ではないでしょう。
 仕事道具のひとつとして、5.5メートルの巻尺を二千円以上の価格で買う人は当然どこかにいるはずですが、では、製品の耐久性などに惹かれて僕のような日曜大工の素人が2000円を支払うのはいかがなものかといえば、前述のシャープペンの場合とおなじく好適不適は関係なく、2000円の巻尺を買うことに初めから何の問題もないわけです。物自体の構造とその用途がシンプルであればあるほど、そのひとつの道具の価値を使用者すべてが同等に享受できる。182センチメートルを測った瞬間に僕が2000円あまりの巻尺を完璧に使いこなしていることは疑いようがないですし、それに、その測定道具としての価値を大工職人とおなじように認識できていることもまた確かなはずです。

 ある種の道具を手にしている全ての人がその道具の使用価値を同等に得ている、という話です。