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裏庭のバジル 33 

「巨大化ですか?」
 女は右の横髪をタオルで挟んで言ったきり、首をやや右に傾げたまま眼前の窓をじっと静かに眺めていた。その一方、ズーム機能が動作して一度は女の背中が映像の中央に大きく映し出されたが、カメラの視野が早々と滑らかに広がっていき、やがてまた窓辺のほぼ全体が画角に収まった。暗みがかる屋外の景色を覆うように、奥行の欠いた一室の内観が窓の全面に薄く映り込んでいる。
「このビデオが不特定多数の人の目にさらされることを、君はどう思いますか」
 撮影者が沈黙を切った。無言のまま女は髪の水分をタオルの生地に吸わせ終えると、そのタオルを頭にかぶせて慣れた手つきでタンクトップの後部の裾を両手でまくりあげた。剥き出しになった女の背中を見て撮影者は、反射的に注意の声を上げてカメラのレンズを女の足元に向ける。
「撮ってもらえますか」と、後ろを振り向いて女は平然と言った。そしてそれから前に向き直り、一方の手を背中にまわして背骨の中程の辺りを皮膚の上から指先でなぞった。「この部分に前世の業を背負ってるような気がするんです」
 女の右側の脇から腰にかける体の線には性の丸みが帯びているが、それに対称するはずの整った丸みが上体の左側には無い。背骨がゆるくS字に湾曲しており、背中の左右の側においてそれぞれ筋肉の付き方が違う。
「君の前世は魚か蛇でしょう」
 通訳者は訳を終えると、苦笑いを漏らして首を小さく横に振った。
 タンクトップの裾を下して女は頭にかぶせてあったタオルを首から下げた。カウンターチェアに座ったまま上体をかるく左右にひねって筋を伸ばしたあと、右の横髪の裾をまとめて手で掴みあげて髪先の匂いを嗅いだ。
 
 四段式の大型のラックが部屋の一方の壁際に天井から吊り下げてある。ラックの最上段には、形成を終えた作品を載せておく四角い板が何枚か重ねて置いてある。次の段にもそれとおなじ四角の板が一枚ずつ横並びしていて、一枚につき作品が数個ずつ載せてある。小型の食器からタライ並みの大きさの器まで、どれもがほぼ一様に薄茶色をしている。そして、その次の段には四角い平皿が数個、最下段には作品の形成器具の類や女の私物などが置いてある。
 部屋の中央には長い事務机が数台。手動のろくろや電気式のろくろが手作りの作業台の上に置いてあり、部屋の片隅の床には電気式と灯油式の窯が据えてある。部屋の一方の壁には陶芸展の告知ポスターなどの紙類が貼り付けてあるが、うちの数枚に掲載されている日程は、すでにその開催期間を過ぎており、日取りの表示には黒いマジックペンで打消の線が引いてある。
 女は四段式のラックの前に足を止めて、ラックの最下段の棚に置いてある陶製のオブジェを両手で持ち上げた。それを胸に押し付けるように一方の腕で抱え込み、もういちどラックの前に腰をかがめて今度は棚の上から電源タップを掴み取った。そして、部屋の中央にある長机の上にオブジェを置いて、本体から延びているコンセントのプラグを電源タップに差し込んだ。
「電源のスイッチをオンにしてもらっても良いですか?」タップの片端を手に持って、女は部屋の出入り口に向かった。
 言われたとおり撮影者が電源コードのスイッチを入れると、「消しますね」という、女の言葉のすぐあとに室内灯の明かりが落ちる。オブジェの表面に数多く開けてある大小様々な穴の内側から、強い暖色の灯りが漏れ出てくる。その放射状に広がった光が机の天板に淡く反射し、オブジェそのものが幻燈のように机の上に浮かんでいる。
 君が作ったんですか、と撮影者が訊いた。
 はい。そう答えたあと女は、「でも」と言ってオブジェを見やり、それが自分の作風ではなくカゴの陶芸教室に参加する初老女性の作風の模倣であることを話した。
 撮影者が相槌を打って興味を示せば、かしこまった口調で女は話をつづける。――初老女性の作品にはすべて『架空』と題してあり、その作品別に制作順を示す英数字が一から順々に振ってある。それにならって、女もまた自分の作品に『架空』という題名を付けることにした――と、そこで言葉を切って女は工房の一方の壁を指す。貼り付けてあるポスターのうち一枚に、初老女性の個展の告知用のものが貼ってある。開催期間はすでに過ぎているが、ポスターの出来が良く、観賞用として見栄えが良い。
「じゃあ、君は作品ごとに漢数字を振るんですか」
 撮影者は一度オブジェに戻した視線を女の顔に移してそう訊いた。
「どうかな」 女は事務机の前に立ち止まってその机の下から丸椅子を引き出し、自立式の杖を身近に置いて座面に腰を落とした。オブジェから放たれる蛍光灯の明かりが女の顔を真向いから淡く照らし出している。「あまりよく考えていないんです。“こういうのを”ずっと作り続けるかどうかも分かりません」
 女は撮影者の顔をちらと見やり、カゴの陶芸教室に通う初老女性の話題に戻って話をつづける。――女性は近年、ずっと同じ種類のオブジェばかりを作り続けており、その作品に彫刻刀で描かれるのは、模様や景色や動植物など多岐にわたる。陶器の形状やサイズは、すべての作品にほぼ共通していて、見れば、丸みを帯びた小型の水瓶とでもいったところだが、ただ、その陶器を形成して窯で焼き上げるのはカゴであって女性自身ではない。カゴは、作陶に必要な材料や道具などを自家用車に積み込んで女性の工房を訪れ、ろくろで形成した粘土状の器を女性にあずける。そして後日、彫刻の済んだ器がカゴの工房に持ち込まれる。カゴはそれを灯油式の窯の中で乾燥させたあとに焼き上げる。初老女性の作品は、いつもそうして出来上がる。作品の内側に蛍光灯を入れて電源スイッチを入れれば、煌々とした灯りが陶器の外に漏れ出てくる。その種類の作品ばかりを、女性はずっと作り続けている。それ以外の種類の物を作品としては残していない。
「その女性はカゴさんの身内の方ですか?」と撮影者が訊く。
「そう思うでしょう」と女が答える。「それが違うんです。カゴさんの奥さんでもないみたいですし」
「きっとカゴさんは、その女性の作品に惚れているんでしょう。そんな気がします」
「私もそう思うけど、どうかな、分かりません」と、女は唇の端に笑いを浮かべて言った。「分からないけど、でも、ちょっと気にはなっているんです、私も」
「気になるというのは、どういう意味ですか」
「ただ単純に、人として」そう言い足して女はオブジェから視線を逸らし、机越しに対座している撮影者をちらっと見やる。「だから要するに、あの人のモノの考え方が気になるってことです」
 撮影者の軽い相槌の声につづいて、女はそのあとオブジェに静かな陶酔の視線を注ぐ。――私が作ったのは、すごく“ちゃっちくて”完成度も低いですけど、でも、あの人が作るのは、もっと彫りが緻密で、線が滑らかなんです。彫刻刀の刃を貫通させるかさせないか、ってぐらい繊細なんです。それで、ほら――部屋を暗くして、作品のライトをつけるでしょ?――もともとそうやってライトの明かりを利用して風景を描くつもりにしてあるから、ちゃんとそのとおりに――空は暗くて、星がたくさん浮かんでて、川とか海には月明かりがたくさん散らばっているんです。――で、部屋っていうか、展示室の明かりをちゃんとうまく調節して……その、だから、暗さを調節してあるっていうことなんですけど……その演出のおかげで、オブジェの輪郭と暗闇の境目がぼやけて見えるんです。
 ふむ。撮影者は机に片肘をついて、手のひらをオブジェにかざし、それから他方の手に掴んであるビデオカメラのレンズをオブジェの側面に差し向ける。彼の手のひらには暖色の灯りが薄ぼんやりと木漏れ日のように散っている。
 女はさらに話をつづける。――オブジェに掘り込まれた実在の景色に紛れ込むようにして、その景色との関連性の低い何かしらのデザインが描かれてある。それがオブジェの架空性の一部分を担っていることには間違いないが、しかし、作者の女性が意図する架空性の実体は『暗闇』の中にこそある。オブジェに描かれた夜空の暗がりと展示室の暗がりとをつなぐ、その架空性を女性は意図している。
 その話を聞いて撮影者は、目の前の紐を手繰るように言葉を垂らしていく。「まず非現実の定義にも依るでしょうけど、光がない場所にはたいてい非現実が生じやすいんじゃないでしょうか」
 女は気のない返事をしたあとに丸椅子から立ち上がり、身近に立ててあった杖の“取っ手”をつかんだ。そしてそれから女は胸を張って上体をわずかに仰け反らせると、姿勢をもどして静かに一呼吸を終えた。「ちょっと考えてみたんですけど、童話とか絵本に描かれている世界って、だいたい現実の世界に根差しているじゃないですか――地面とか空とか、建物とか、車とか――人とか、動物とか、草木とか……それに登場人物が言葉を話したり、誰かと笑いあったり、嬉しいことがあったり残酷なことがあったり――そんな感じで、架空の中には現実の描写がたくさんあるんですよね。
 ――で、それって」
「それって」と、女は視線を落として繰り返す。

 “さばくのクジラ”という題名の絵本がカゴの自宅の本棚に立ててある。カゴの陶芸教室によく参加する初老女性の自宅に保管してあったもので、カゴはそれを自宅に持ちかえってそのまま本棚に置きっぱなしにしてあった。装丁には水彩画が描いてあって、表側には砂漠、裏側には海、その表裏の両面ともに、ぎっちりと四隅にまで画が描き詰めてある。
「えっと」
 そう小さく声を漏らしたあと女は、おぼろな記憶にそって絵本の内容に触れた。――“砂クジラ”と呼ばれる陸生のクジラが砂漠の深さ80メートル程度の地中に生息している。砂の上に出てはネズミやトカゲや蛇などを食い、そして、そのとき同時に飲み込んだ砂を体外に勢いよく吹き上げる。舞い上がった砂の中には、かねてより蓄積された核物質が含まれており、砂は風に舞い上がって大陸の別所へ飛び散る。
 話の中に出てくる核物質には実在する固有名にひっかけたカタカナの仮名を付けてある。女の記憶によれば、砂クジラの胴に付いた胸ビレがクジラの全長のおよそ半分の長さにまで発達しており、尾ビレの発達も相まって砂の中をすばやく力強く掻き進んで行ける。
「ホラー映画に出てくる怪物みたいな恰好をしているんです」と女は言う。「アメリカ人が作るホラー映画かヒーロー・アニメに出てきそうな、すごく分かりやすい見た目をしているんです。クジラの顔が怖くて、うす気味わるくて、ぜんぜん子供向けの絵じゃなくて」
「企業風刺か軍事風刺でしょう」と撮影者。「とくに戦時中には珍しくない話です」
「けっこう古い本ですよ。ページに焼けがあったり、シミの匂いがつーんとしたり」
「謎めいた古書です」と、撮影者が溜め息まじりに言う。
「初版がいつなのかは知りませんけど」と、女は唇の端に親しげな笑いを浮かべていたが、その表情の片隅に追憶の間を差し込んで女はさらに話をつづけた。「でもやっぱり、いま思ってみても、あれって子供向けの絵本じゃなくて大人向けなんです。なんか、すこしだけ寂しい雰囲気があって、そういう絵本が好きな大人って結構いるんだろうなって感じの――」
――絵本の最後の二ページ分だけが袋状に閉じてある。その袋の中には三百グラムあまりの微細な砂が仕込んであり、砂の中には樹木の小さな種が数個混じっている。いつかカゴが初老女性から聞き知ったところによれば、その数粒の種を女性は自身の家の庭に植えてモミジの木を育て上げたという。
「そういうのを“付録”って呼ぶのかどうか私には分かりませんけど」と女が言う。「なんか、大人向けのユーモアって感じがしませんか?」
「すこし気味が悪いです」 と、撮影者が首を横に振る。「絵本の内容からすれば、たしかにそれを大人のユーモアと見なすことも出来るでしょう。ですがそれでも、きっと僕なら袋を開ける気にはなりませんよ。その袋の中に何の有害な物質が混じっていてもおかしくないんですから」
「たぶん読者からそういう批判があったんだと思います」そう言って女は視線を斜めに落として、物思いに声を弱める。「絵本は今でもインターネットで売られてますけど、“砂や種が入ってた”なんてレビューはひとつも書かれていないんです」
「重版が続けられているということですか?」
 女は表情をわずかに曇らせて視線を落とし、小首をかしげて上目で天井を見やった。そして、胸の下に両腕を組んで物思いに浸り、右の人差し指の先端で二の腕の肌をとんとんと軽く打ちながら話を続けた。「でも、考えてみたら、その砂のことを怖いって思うのは大人だけなんですよ、きっと――それが外国の砂だったとしても近所の公園の砂だったとしても、そんなの子供にとってはどっちでも良いっていうか……怖いもの知らずっていうか、無知っていうか」
「絵本に書かれていた話と僕らの見たクジラの一件がなにか関係していると思いますか」と撮影者が訊く。
「なにか関係があるみたいに思えるかもしれません」女は言葉をさがして慎重さを含ませた口ぶりで答える。「でも、それって、どうかな」と、軽い調子で続けておいて、「それって結局、単なる“こじつけ”のような気もします」
 意外と冷静な見方をするじゃないですか。撮影者の声が室内に軽い響きを立てる。
「自己分析です」そう言ったあとに「大事でしょ?」と、誰にともなく言い加えて女は椅子の前に立ち上がり、そのまま部屋の片端に歩を進めて壁付けの照明スイッチに手を伸ばした。
 すると直後、点灯の明滅につづいて天井灯の白い明かりが部屋をはっきりと照らし出し、それと同時にオブジェの内側から漏れ出していた暖色の明かりが周囲の空間にさっと溶け込む。撮影者はオブジェの照明スイッチを切って、その作品への評価を好意的に言い表した。
 さんくす、と、女は表情のない声で言った。変わらず大窓には部屋の内観と三人の姿が映り込んでいて、窓の外には夜更けの暗みが静かに満ちている。

『この四日後、クジラは海に沈んだ。
 聞けば、マッコウクジラは長くて七十歳ぐらいまで生きるらしい。あのクジラの全長から推定して、おそらく寿命の半分以上は生きただろう。生前に潜った海に沈められればあのクジラとしても本望だろうが、どうだろう、海なんて、どこの海でもほとんど同じようなもののような気もする。
 そういえば、クジラは夢を見るらしい。どんな夢を見るのか私には想像も付かない』

 撮影者の声が止んだあと、工房を撮影した映像がさっと暗転した。その暗んだ映像の中央には、座礁したマッコウクジラと海をひと合わせに撮影した一枚の画像が表示された。当時の見物人たちの姿は無い。クジラの死骸の向こう側には白波の名残りが水際に沿って横に広がり、遥か遠くにある水平線が空と海の “それぞれ色合いの異なる灰色” をかろうじて上下に分け隔てている。
 そうして海辺の画像がただ静かに表示され続ける中、ごくわずかなホワイトノイズにのせて、女の澄んだ声で数文の朗読が始まった。それと同時に、映像の下辺の暗みには朗読の英訳が浮かび上がる。

(ざらざらしたよる ほしがたくさん じめんにばらばら きのめがでたよ
ぱぱがわらって ままもわらった めをとじてすぐに ふたりがねむれば
ほしがたくさん ざらざらしたよる ほしをおとして そらがとじるよ
いそいでかえろう ぼくもかえるよ ほしがおちるよ そらがとじるよ)

『絵本の終盤では、地中海沿いにある小さな町の夜のひとときが描かれている。その町の一角にある民家の一室に、ちょうどベッドに入ったばかりの男児の姿がある。男児は、窓の外の物静かな町道のちかくにある一本の屋外灯を思い浮かべる。仄白い明かりを反射した砂が灯の下で輝き、地面の砂床には人の足跡がひとつも付いていない。数匹の蛾が照明のプラスチックカバーに身を打ち付けるたびに鈍い音が小さく鳴って、その直後、わずかながらに鱗粉がまき散らされる。男児は、いつもだいたいそれを日常の光景として無心に眺めていた。見知らぬ通行人が雨傘を差して通り過ぎれば、その本人の靴跡の溝が砂で埋められていく。
 そして物語の最後では、砂クジラの吹き上げた砂が音もなく町に降りかかり、その町に隣接する青い海の中を海生のクジラが悠然と泳いでいく。男児は傘を片手に海辺に立っている』
 そこで撮影者の声が止む。クジラの死骸を撮影した画像が消える。

 撮影者がカゴの工房に通い始めて四日目の朝。映像の右端に――the fourth day 9:46AM――の文字が小さく浮かんで消える。
 撮影者一行が乗り入れた駐車スペースには、カゴの貨物車の他に白色の乗用車が停めてある。その車体に目立った汚れは無く、窓ガラスには曇りひとつない。ガラスの表面には雑木の林立が鮮明に映り込んでいる。
 撮影者らの到着に時機を合わせたようにして、中年を過ぎた年恰好の女が工房の敷地の端にある石階段に姿を見せる。これといって何の特徴もない中背の女だが、一目見れば、それが誰の母親であるかの見分けが付く。
「おはようございます」そう言って女は一振りした手を下ろす。歩行に不慣れな子供のように両手でバランスをとって眼下に延びる細い石階段を下りてくる。その様子を撮影した映像の端には、『加護幸久』と記した郵便ポストが映っている。
「加護さんのビデオを撮ってるんですってね」
 軽い音を立てて運転席のドアロックが開く。女は上着の右のポケットから手を引き抜いて、自家用車のキーを手に収めて歩く。その女の背後から、通訳者の返事の声がする。
「ここ、良い所でしょ?」と、女は自身の傍らを歩く撮影者の顔を見た。
 そして直後、早々と足元の地面を指して女が気まずそうな笑みを口元に浮かべたところ、女の眼尻と鼻の根元にくっきりと深い皺が寄った。女はそれから慣れない発音で“グッド、プレイス”と言い加えた。「交通の便は悪いけどね」と、撮影者から逸らした視線を前に向けて歩いた。
 カメラの焦点が移動する。石垣に関心を寄せる撮影スタッフの姿から、白い乗用車の側面へと、まったく手振れの生じていない滑らかな映像が映し出される。斜めに差す日光が車体の一部を眩しいほどに照らし出していて、周囲には砂利を踏み歩く音が連続して鳴る。それからしばらくして運転席のドアが閉じる。シートベルトを斜めに掛けたあと女は、車の窓を開けて撮影者の手元を指しながら通訳者の顔を見やって訊いた。
「私もビデオに出るの?」
「僕の思い出のために撮っておくだけです。人前には出しません」と撮影者が答える。
 そうしてちょうだい、と、笑みをこぼして女はフロントガラスに顔を向ける。
 車がゆっくり後進をはじめる。砂利を鳴らして敷地の出入り口に向かい、クラクションを小さく鳴らして走り去る。ブレーキランプを何度か灯してなだらか斜面の道を遠ざかり、やがて雑木林の向こうに消える。
 撮影者らは、その当日に予定されている撮影工程について言葉すくなに話をしながら、砂利敷きの駐車スペースに戻ってくる。
 そのときちょうど工房の石階段の中程の場所に、杖突きの若い女の姿がある。女はジーンズとトレーナーを身に付けて、両手に庭仕事用の手袋をはめてある。「おはようございます」と、一方の手をひらひら振って見せたあと、女は、その手を後ろ腰にあてがって撮影者らが来るのを待つ。敷地の周囲に植えてある風知草が風に揺れれば、鼻先に触れた横髪を手ですくってそれを耳に掛ける。 
「君は、お母さんとよく似ていますね」
 それを聞いて女は眼下の踏み段に立ち止まった撮影者から視線を逸らし、駐車スペースに停めてあるワゴン車を見下ろして嫌味のない静かな笑いを口元に浮かべた。「今日は、お母さんの仕事が休みで――いつもそうなんです、ここまで私を車で送ってきてくれるんです――スクーターで山道を走るのは危険だから、って」
 撮影者は親しげな声でみじかく相槌を打つと、ズーム機能を使用してカメラの焦点を女の顔に寄せていった。「私が道を踏み外すんじゃないかって、あの人、すごく心配しているんです」と女が言う。風が山の斜面を吹き上がり、周囲の風知草がそろって衣擦れのような音を立てる。
「それはある意味、君の宿命のようなものだと思います」と撮影者が一息に言い切る。
「ちゃんと舗装されてるので、心配ないはずなんですけど」
 通訳者は、女の言葉どおりの意訳を始めるが、とっさに湧いた疑問に思い当たって口をつぐんだ。「この話はこれで終わりにしましょう」と、横髪を耳の上に押さえつけながら、女はいくらか声を下げてそう言った。ほどなく通訳者が撮影者の背中を気早に何度か手のひらで打ち、場所を変えて話を続けるよう気軽な口調でうながした。

 その日の午前に予定されていた作業風景の撮影に備えて、作業着を身に付けたカゴが薪小屋から長斧や薪割機を運び出してくる。そうして数束の薪を地面に積み重ねて置けば、その一方では、薪小屋の室内を撮り終えた撮影者がカメラの液晶モニターを斜めに見下ろしながら小屋の軒先に出てくる。
 カゴはそのあと無言に作業の準備を整えて、長斧を手に取り撮影者に視線を投げる。女は地面に置いてある電動の薪割機の電源を入れる。薪の材料となる太枝の長さは約四十センチ。二人のそれぞれの手元で枝が縦に小切られていく間じゅう、木の繊維を引き裂く音が周囲にみじかく響きを立てる。




『kago yukihisa 4』

konoです。
ギターを弾いているあいだに(場所の移動を伴う)気分転換が必要になったときには、まずはじめにギターをギター・スタンドに立てて置かないといけません。ですがその一方、文章を打っているあいだに前述の気分転換が必要になった際には、ただ単にキーボードから手を放すだけで済みます。
『わずかな時間の気分転換を途中で差し挟みながら、能率的に作業を進めたい』――そんなときに、ギターの重量が煩わしく感じる。そして、またひとつ厄介なのは、一度ギターをスタンドに立て掛けた時点で、作業の中断どころか、それが『終了』の意味でさえあるようにも感じてしまう瞬間がたまにある、ということです。と、そうはいっても、気分転換をせずに最少の時間で作業を終えたい、という欲求が沸いてくれば、当然のこと余分なストレスが生じやすくもなります。いつもいつも最少の時間で作業が終えられるとは限りません。
どうしよう――と考えて、煙草の煙の風味について考えます。
黒いスーツを着たマネージャーに 一箱のガラム を預けておきたいです。

mynaの新曲を作ってドラムを打ち込んでいると、僕の担当するメインのパートがドラムの打ち込みであるような気がしてきます。以前から、そう思ってはいたのですが。